「なぜかを問い続ける」のはとっても辛いって話

僕が考える「優秀な人」の条件中に、

「なぜかを問い続ける」

という条件がある。

実際これをやるのは超しんどい。

そして僕も、それができない。

この記事ではそれがなぜかを記していこうと思う。

「なぜかを問い続ける」が辛い理由

これはもう至極単純なことで、

「 “なぜかを問い続ける” なんていうのは、相当な精神力の持ち主でもない限り大変な労力を伴うから」

です。

たとえば、

「なぜいい大学行かなければならないのか」

という疑問は、ここ60年ぐらいの間は高校3年生が常に毎日考えていることでありますし、大学を卒業した人間ですらそれについて考えていることが多くあります。

しかしながら、

「なぜこの仕事はこのやり方なのだろう」

という疑問は、個人的に多くの人間が思っていることであると信じてはいますが、その多くがよりよい考えに到達する前に「なぜかを問い続ける」のをやめてしまいます。

そして僕も、途中でやめてしまうと思います。

それはなぜか。

とても単純で、

「理由がわかったところで、それを具体的なアクションにつなげることが難しいジャンル」に対して「なぜ」を投げかけたからです。

たとえば、

Aという上司のもとで、誰が見ても効率の悪い仕事をしているBさんという人間がいたとしましょう。

そしてそのBさんはとても優秀なので、「なぜこのような効率の悪い仕事の仕方をしているのか」となぜを投げかけ続け、その理由を見つけました。

ここではその理由が「Bの怠慢」のせいだったとしましょう。

さて、AさんはBの怠慢を改善できるのでしょうか。

ここからは僕の推論になりますが、多くの日本企業(全体の99.9%以上)ではこの場合業務を改善することは不可能だと思います。

なぜなら2018年現在、多くの企業が評価基準を「成果」としていながらも実際は「年功序列」であるケースのほうが多いと個人的に考えているためです。

(この評価基準の矛盾についてはまた今度ブログにでも書きますね)

さて、先程の話に戻ると、この「年功序列」という事実によりAさんは業務を改善することはできないでしょう。

この状態でも「意見具申」程度であれば可能かもしれませんが、それにより現場が改善する可能性はほぼ皆無なので、意見具申するための「労力」すら長期的な目線においてはただの「無駄」となるでしょう。

さて。

このような状況下でAさんが「なぜかを問い続ける」ことに「意味」はあるのでしょうか。

当然、意味はあります。

意味はありますが、意味を知ったところで何も改善できない今回のようなケースの場合、ミクロの視点においては「なぜ」を問い続けないことのほうが合理的な場合もあるのです。

そして、2018年現在の日本には、ミクロの視点で効率化を図ったほうが効果的なものがたくさんあります。

今申し上げた「なぜかを問い続ける」ということも、「ミクロの視点では効率化を図ったほうが効果的なもの」の代表格の一つだと思っています。

だからこそ。

現代日本において「なぜかを問い続ける」人間が、とても貴重なのです。

なぜかを問い続けられる人間は、理由を見つけます。それだけではなくそれによるメリットもデメリットも見つけることができます。

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