一般的に「正しい」とされている話が、本当に「正しいか」を問い続けるのは難しいという話。

これから書くことには僕自身が無意識のうちに取り込んでいる「性別によりフィルタリングされた意見」がある可能性があります。

この意見は僕としては「無意識」の間にやっていることなので、公開する前にそれに気がつくのが難しいです。

あと、きちんと取りまとめた上で書いているものではありません(破綻している可能性があります)

それを把握した上で、時間を溝に捨てる覚悟のある人だけ読んでみよう!


僕たちの身の回りには多くの「正しい」とされることがあります。

たとえば、「人を殺してはいけない」というもの。

これは正しいということが比較的わかりやすいものですね。

では次にこういうのはどうでしょうか。

  • いい大学に行っていい会社に就職するのがいい
  • 子供を作って、子供を育てるのがいい
  • 大人になったら専業主婦になる
    ・・・etc

さて、これらがなんとなく「完全には正しくなさそうだ」、というのは2018年に生きている皆さんであれば自明の理だと思います。

でも「完全に間違っているのだ」と言い切ることも難しいと思います。

さてこのようなデリケートな命題(言葉の使い方があってないかも)に対して、1mmでも疑問の余地があるなら、私は問いを投げかけ続ける必要があると思います。

なぜ、そう思うのか。

昔に読んだ本の何処かに書いてあったことを、内容を要約してそのまま引用します。

Aという命題に疑問を投げかけたとする。
Aという命題が仮に正しかったとする。
Aという命題は、疑問に対して明確に答えることでAの正しさを補強することができる。
Aという命題が仮に正しくなかったとする。
その場合、その命題が間違っていたという正しい認識を作り出すことができる。
このようにどちらの場合においてもAという命題に疑問を投げかけることは我々全体にとってプラスの作用しかもたらさないので、命題に対して疑問を投げかけ続けるべきである。

中世期に書かれた哲学書だった気がします。なんだっけな。自由論あたりだった気がします。(間違ってたらゴメンネ)

上記の理屈がわかっても、実際にそれを投げかけ続けるのって実際はすごく難しいんだよね。

だって、自分で考えるより、誰かが正しいと言ってる意見をそのまま鵜呑みにして「僕もそう思う!」っていうほうが全然楽だもんね!

(というような内容がサイコパスというアニメで少し描かれています。気になった人は見てみよう!)

でも、僕たちは「自分の頭で考えること」を意識的に行ったことって多くないと思います。

学校では規範に従うことが良しとされ、成績を上げることが良しとされ、社会人になったら給料が上がるのが良いとされ、30ぐらいになったら結婚するのがいいとされ、子供を作るのがいいとされ・・・など、私達の身の回りにはなぜそれが正しいのかをきちんと考える機会は多くはないです。

でも。

人生は短いです。(セネカという人が知り合いに向けて書いた「生の短さについて」という本には、なぜ人生が短いかについての示唆に富む記載があります。気になった人は読んでみよう)

その人生を無駄にしないためにも、自分の頭で考える。ことが一番大事だと思うのです。

僕も全部できているわけではないのですが、頑張ってできるように日々努力しています。

\ミンナモガンバロー/

Leave a Reply

Fill in your details below or click an icon to log in:

WordPress.com Logo

You are commenting using your WordPress.com account. Log Out /  Change )

Google photo

You are commenting using your Google account. Log Out /  Change )

Twitter picture

You are commenting using your Twitter account. Log Out /  Change )

Facebook photo

You are commenting using your Facebook account. Log Out /  Change )

Connecting to %s

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.